蘇州・第二三二四部隊
蘇州駅より、城壁沿いのクリークづたいに部隊へと向かった。その途中、支那の街の未だ人気のない道を、なんとなく物騒な感じで緊張しながら歩いた。どこからか、狙い撃ちでも受けるのではないか等思ったりして、実のところ此れが第一印象である。(後でわかったが、ここらは一番安全な地域であった。)
駅から徒歩、二十分位で部隊に着く。営門には、第二三二四部隊と書かれた表札がまた新しい。営門歩哨が不動の姿勢をとる前を、営兵司令営兵要員は入り口に整列し、部隊全員営門わきに整列で、出迎える中を、三十六名無事到着。今日は十一月三日、明治節である。三聯隊を出てから調度、一週間目であった。中食に歓迎会食をやってくれた。
整然とした兵舎、内地の兵舎より立派である。青の煉瓦造りで、営庭も手入れの行き届いた公園なみ。内地の兵舎どころでない。師団司令部も同様。混成旅団から師団に編成がえになってまもない、兵舎も新しい。自分達は営門を入り左側営庭の有線講堂、独立した建物に隔離された。
一両日、各中隊の古年兵が、飯上げ等いろいる面倒を見て呉れた。内地から引率して来た十六部隊での教育肋教の軍曹殿は、一日して内地へ帰還して行った。翌年あたりからは、初年兵補充兵の受け入れは、部隊から下士官が初年兵受領とかの役名で、内地に迎えに行ったものだ。当六十師団通信隊は、通常第二三二四部隊、亦、部隊長の名で梅北部隊と云って居た。
蘇州の城壁外に蘇州郊外で、漢詩で有名な寒山寺の出て来る詩で、「月落鳥蹄霜満天江楓漁火對愁眼姑蘇城外寒山寺夜半鐘聲到客船」で名高い楓橋鎭とか、楓江鎭と云っていた楓橋のあるところから、ものの五分も歩かぬすぐそばにあって、留園とか西園、亦、有名な虎岳、寒山寺も部隊から五十分で行ける。遠くにれいがん山を背景に、古都だけに名所史跡が多く、後日、演習には良く立ち寄ったものだ。此の地が、常時吾々の部隊の駐屯地である。
作戦討筏分遣のない限り、此々が自分等の本拠地である。此の通信隊の軍紀風紀の喧しいのは、師団随一いや中支随一とされていた。矛兵団第六十師団は、先にも記した如く師団編成されたばかりで、独立混成旅団からの編成変えである。その為か、他の部隊から転属されて来たものが多く、最古年兵は広島次に大阪、京都次に四国、初年兵も四国、東京、関東組は吾々からだ。此の他、他部隊からの転属者は、各地の出身者が多く混ざって居た。此の人達は、師団の負数要員で、補充がつくまで満期延期で、その補充として自分等がやって来た。一、二ケ月して内地帰還して行った。
営庭は勿論チリ一つ落ちていないばかりか、枯れ芝も奇麗に刈り取られ、営庭の道路ま、常に奇麗に掃かれ、ほうきで掃いた跡が横に奇麗に目立てしてある。植木も手入れが行き届き、兵隊がつくったと云う池そして山、相撲場、ちょっとした公園なみ、いやそれ以上整然としている。
それでいて演習、訓練は厳しいもので、師団の銃創術大会、射撃大会、水泳、通信は軍の暗号解読に至るまで、いつも優勝して居た。亦営庭内をどこへ行くにも駆け足、二人の場合は足並みを揃える、そして駆け足という厳格さで、演習も亦気合がかかって居た。
演習のない時は常に土方仕事。日曜、休日と云ってもまる一日は休ませない。半日身辺整理、半日は銃剣術、軍歌演習か営庭の掃除、もっこかつぎ。吾々補充兵は、軍事教練は初めからやり直し、一期検閲は延びに延び、五月末か六月初めに行った。
入隊から早四ヶ月
酒保ゆきを許されたのが入隊後四ケ月後、糖分がたまらなくはしかつた。月に何回かあがる甘味品が楽しみであった。古年兵は、酒保に自由に行けた。うらやましいかぎり。次年毎に、出身地が異なっていたので、地方地方のなまりと方言にまごついた。教育の厳しいのは内地どころではない。鉄拳制裁、精神的制裁がひどく、悪くいえばたこ部屋みたいなもの。自分等の内務班の古年兵諸君は、良い先輩であったが、他の班には意地の悪い悪玉が多くいた。ねんがらねんじゆう、いじめられてる同僚を見て、まことに気の毒な感じがしたものだ。
不思議なことに年次が一年違うと、年がだいぶとっている様な感じがしてならない。古年兵には自然と自信が身についてか、それとも態度が図太くなるのか、良くいえば古年兵のカンロクか、何しろ年輩者に見える。一方、地方で年をとっている、いいおやじが星一つで、古年兵から追いまくられていると、これが亦不思議なことに、子供の様な感じになり、年令が下に見えて来る。今一ツ感じた事は、偉ぶって居る古年兵も、皆この様な過程を通り過ぎて来たのかと、不思議でならなかった。良く辛抱して通り過ぎたものだと。当然耐えられなければ、役立たないものと自分にいいきかせ、軍隊の申送りと云うものは、この様なものかと数ケ月して悟ったものだ。勿論部隊によって、ひどいところ、そうでないところの差があったようだ。自分達の後から来た初年兵からは、部隊の制裁が喧しくなり、後輩からはひどい制裁がなかった。自分達仲間が一人の脱走者もなく、良く辛抱したものだと、お互い語り合ったものだ。 古い現役の兵隊ばかりの中に、年輩の補充兵が入ってきたのだから、一段と珍しさが加わって、十も年上を鼻の先であしらえるのだから、面白くてたまらないだろう。なんくせは何でもつけられる。銃座の掛けかた、鉄砲の引き金、靴の手入れ、落ビョウ、靴ヒモ、何かあると内務班の四、五名の古い兵隊から、一人四ツか五ツづつ殴られる。説教の上各班廻りと云って、何々をして古年兵殿に注意を受けました、申告致します。などとよその班に挨拶に行く。そうすると、各班の古年兵が退屈まぎれに、かわるがわる殴ぐりつける。一ツの班で少なくとも十五は殴られる。五班か六班あるからぐるり廻って来ると、百以上になる。顔はホテッテみるみる腫れ上がる。内出血するのであろう、翌朝は見られたものではない。班長や中隊長から、どうしたと聞かれても、殴られたとは云わない。云うものなら亦やられる。夜点呼が終わると、兵舎内はまるで怒号と殴りつける音で、軍隊の経験のない者が、いきなり入ろうものなら、気が遠くなるにちがいない。
昔平時の軍隊生活は、現役二年間、初年兵と二年兵、二年で満期である。内務班は、二年兵初年兵の人数の比率は一対一である。古年兵一人一人の間に、初年兵の寝台がある。互い違いになっており、右隣の者を互いに戦友と云っていた。
軍隊での生活
我々が軍隊に行った時は、しかも補充兵年次も上の方がつかえて居て、四年兵五年兵なんて云うのもいて、一つの内務班で我々仲間の補充兵は、二人、三人、それで内務のこと掃除から床とり、下士官の掃除 寝具のこと、古年兵の洗濯、靴兵器の手入れ、飯上げ、食器洗い、使役にかり出され、寸暇の時間もない。朝起きてから夜寝るまで、それに毎日の訓練、演習、亦学課の暗記、それに被服の補修々理。日曜日は、かえって平日より、内務班の事、身の回りの事などで忙しかった。身辺整理 起床ラッパ 軍服を着て、少なくとも両隣の先輩の寝具をたたみ、規定の位置に各班整頓する。洗面所から点呼場へ 舎前、賢庭と駆け足全員集合。点呼時間まで半身様乾布マサツ、その時によって天突き運動、ろこぎ運動等、点呼終わり、馬屋の馬手入れ、下士官室の床上げ及び掃除、内務班の掃除、舎前舎後の掃除、飯上げ 食事 食器洗い 洗濯物乾かし方 整理整頓 演習整列 外野演習。昼食携帯の時は、これに加えて、はんば編成とかだば編成 車両編成、営兵上番下番者の寝具を、営兵所に運び込んだり持ち帰ったりの作業。
週番等兵の点呼準備と言うするどいかけごえが階下からひびき上がってくる。続いて二階中央廊下で点呼準備一声が上がる。各内務班は一斉に掃除が始まる。清潔整頓、はき掃除、吸いがらの取り替え、銃座の上、寝台の下、履物の整頓。演習を終え、舎前に整列、異状の有無点検の上、次の指示、解散。年次の新しい兵隊は古年兵殿・班長殿の装具を演習も営外での昼食携行と午前午後と営内での演習訓練がある。
営内でやる場合、昼食時間三十分前に終え、午後の集合時間を達せられ、解散そして飯上げ、食事の支度。食後食器洗い後時間があれば小物の洗濯。
何かしら自分の事をやる。
午前中朝食後、衛兵上番者九時頃、中隊舎前に整列勤務者は、朝食後各勤務場所に行く。練兵休は医務室に診断がある場合、十時頃週番下士官に引率されて、医務室へ診断を受けに行く。練兵休とは、演習訓練等はしない。おおむね週番下士官或は週番上等兵の使役に狩り出されるか、又は(中隊人事係の指示に従うか兵器係の指示又は被服係の指示。)
三時頃、命令受領ラッパ、そして夕食ラッパ。演習から帰ると兵器の手入れ、軍靴の手入れ、洗濯物の取り入れ、飯上げ夕食。医務室下士官に食事を運ぶ。
食器洗い、寝床をとる。掃除 点呼準備 点呼ラッパ 点呼時 内務教育 命令会報の伝達 明日の演習の指示。
点呼要領 七時二十分頃 点呼三十分前あらかじめ事故調べ 下調べを週番上等兵。
第小内務班総員 三十六名 事故十一名 現在数二十五名
番号・・・・・ 二十五名 事故の十一名は分遣五 衛兵二 炊事 馬や 入院入室各一 計十一名 異状ありません。週番下士官に報告。
点呼前に不寝番立ちの達しあり、週番上等兵より不寝一番立ちは、消灯三十分前より
五分前か十分前に吸いがら入れ煙管を下げる。員数検査 不寝番役目 馬や不寝番 軍靴はき巻脚袢を捲く。帯剣をする。兵舎から馬や迄速い。北風のからっ風の吹く深夜は寝床から馬やへはつらい。
馬ふんとり冬場は寒い。その上古年兵はなかなか交代口に来ない。
非常呼集 火災呼集 一時間何回 早朝起こし、夜間出入りの氏名 時間 記帳、卓送り事項、日曜休日外出者届け、外出者の整列帰隊人員点呼。銃剣術 軍歌演習、酒保外出しない者の営内における休日風景、内務班での床屋風景。此の風習も軍隊の伝統の申し送りか、古年兵の誰かの心尽くし 何か心にじんと来るものを感ずる。
寝床の中に手を入れたとたん紙袋の中に甘味品、周囲の状況を伺いながら、床の中に頭からすっぼりかぶり、音をさせない様少しずつ舌で味わいつつ、現状の自己と日夜精神的の苦労内地の親兄弟次から次と頭に浮かべ(心にうつ名画を見ながら菓子を食べている)錯覚におちて居る。どこかに戦友古年兵の暖かい思いやりを見た様なものが深くしみ、明日からの支えとなったものだ。目が乾く頃やっと寝つく、間もなく深夜の不寝番の交代に起こされる。寝起きの良いの悪いの寝言を云う奴 寝相の悪いの。夜中 週番下士官 週番士官 週番司令が、突然巡視に来る。不寝番 規則を問われる。
初年兵は、年毎に体格がおちる。補充兵は次から次にやって来る。一次補充兵 二補充 三次 しまいには付けようがなくなり、見分けもつかなくなる。新しくなるにつけ年がとって来る。