旅立ちの日
十月も末愈々、野戦への旅立ちの日がやってきた。
早朝も裏暗やみの中を、営兵要員の見送るなかを、軍靴の音を響かせながら、営門を出た。街は人通りもなく、途中、朝仕度に起きたのか、民家の灯が一ツ二ツとつき始める。品川に近付くにつれ、新聞やか朝の買い出しに出かける人か、ポツリポツリとすれちがった。品川駅に着く頃やっと明るくなる。人通りはまだない。たまに新聞配達人が道を横切る。我々の出発は極秘であったが、幾人か来ていた。その中に例にもれず、可愛こチャンと泣き別れの二等兵さんのお嫁さんが見送りに来ていたそうだ。俺は気がつかなかった。
品川に来て驚いたのは、星一ツの補充兵が、千五、六百人も集結している。皆自分達と同様、各部隊で一ケ月間教育を受けて居たのだろう。
自分達通信隊の補充兵は、部隊から見送りに来た教官、肋教助手、肋教の軍曹殿は、中支まで我々を届けてくれた。昨日と今朝、兵営を出る時、種々と注意事項を聞かされた。
街を行軍中前方一点を見つめ、横目づかいをせず、キョロキョロせぬ事。
みだりに無駄口をきかぬ事。
指揮官の指示を厳守する事。
列車に乗ったら、車窓を開けぬ事。
顔を外から見えぬ様にする事。
これを、きつく達せられて居た。
列車が駅構内に入り、窓は日除け戸が、全部下ろしてある。中は見えない。整然と順序良く、指示されたまま乗車する。列車に乗り込むと、前もって指示教育をうけた通り、各自網棚に装具を、決められた位置に、想定通り整頓して上げた。
発車前、近衛師団長の車内閲兵があった。一直線に一号車から、各列車の通路を幕僚と通り抜けた。自分達は、座席に腰掛けたままの気を付け姿だ。閣下の顔も良く拝めなかった。一瞬の通り抜けである。間もなく発車である。品川から広島まで外の景色は、全然見えない。だいぶ退屈してしまった。
数年前までは、外地へ出征する軍用列車は、通過する駅毎に、日の丸の小旗を、手に手に沿線の人々は、見送ったものである。亦満州事変から支郡事変頃までは、列車の兵隊も日の丸の小旗だとか、日章旗を、窓から景気良く振ったものである。バンザイバンザイとお祭り騒ぎであった。盛んな頃は、軍用列車の通過時間が、駅に掲示されていたり、駅員に聞けば教えて呉れたものだ。その時間になると、そこの通過駅の町内会の人々は、各々小旗を用意して通過時間を線路沿いに待っている。
此れに比べれば、自分達の出征風景は随分変わったものである。家族の者にも知らせず極内密に出動し、車窓は閉めきり、夜間は車内の灯も外に漏洩せぬ様、車内も灯下管制をした。
広島では、七、八名位づつ民家に分宿し一晩泊まった。夜、宿の人に頼み、そばを取り寄せてもらって食べた。携帯食糧だけでは、どうも腹の調子が悪い。内地最後の地方食をと指揮班の目をぬすみ、同宿連中同議の上家人に頼んだ次第、その時のそばの味と、そこの宿の人達が、軍隊生活中忘れられなかった。三年後、あの人々も原爆の犠牲になったのかと、大陸の地でやりきれない思いにふけった事もある。
大陸に渡る
広島の街からうじな港まで行軍だが、十六部隊での行軍でびっこを引いてる連中は、トラックで兵員輸送。うまくやりやがってと横目でみながら行軍、結構道程があった。
船は、半客船、半荷物船、横腹には日の丸のマークを付け、日本郵船の徴用船。吾々は、船倉に詰め込まれ、二段式のやぐらが組んであり上下に横にころがる様に寝ころんだ。座って頭が上につく程度。
海上は、此の頃敵潜水艦が出没、よく輸送船が襲撃を受けることもあるとか。海上の船艦監視歩に交替で立哨した。
夜間デッキでタバコを吸ってはならない。亦、たとえマッチ一本でも海上に捨ててはならぬと、厳命である。
救命具のつけ方とか、船内で教育をうけたり、船内での注意事項を繰り返しうける。
救命胴衣は、全員にはゆきわたらない。
あとは汽車の中と同様、退屈でならない。お陰で入隊以来、戦友とゆっくり語り合えたのも船に乗ってからである。
軍歌戦友の一説を思い浮かべながら、亦、戦友達とお互いに民謡を教わったり教えたり、横になりながら時間を費やした。
うじな、ウースンを、二泊三日かかったと思う。東支那海大陸に近付くにつれ、海水の色が黄色(茶)になって来た。とうとうやって来たかと、船も沈められずどうにか無事。
数年前の先輩達は、上陸も敵前上陸、或はすぐ戦火をくぐらねばならないわけだが、十七年の未頃、吾々の時は穏やかなもので、上海近くは内地同様と云いながら、やはり外地である。なんとなく緊張感が湧くいてくる。
上陸してみるとクリーが荷を運んでいる。余り人影が見えぬが軍の船舶が宿泊して、日本の兵隊が多くみられた。着任地別に何組かに大きく分かれ、自分達は、そこより上海駅へ荷車に乗り、やはり窓を閉めやや細めに明けた程度で、荷車の中にうす暗い電球一ケ、それに灯火管制(おおいをかける)。そこより見る限り、上海の人々見るもの皆、異國に来た感じが深まった。列車は、夜半走り始めた。途中の駅々には日本の兵隊が、鉄道警備に当たっているのが見える。蘇州には明け方、やや空がしらみかけた頃、着いた。