軍隊生活・その一
これより軍隊生活が始まる。
自分等の東部十六部隊は三聯隊の聯隊本部の前を通り、モダン兵舎を右に見て廣い営庭を横切ると、青山墓地に面した(三聯隊の南西側に面したところ)ところの木造二階建てが十六部隊の兵舎である。兵舎の裏側は斜面になっていて高台と云う感じ。斜面の下には高い塀があり、塀の外側にそって都電が通っている。人の通る道はないが、たまに線路の上を人が歩いているのを見かける。線路の内側は木の柵があり青山墓地である。
此の東部十六部隊とは本当の名称は近衛師團通信隊と云う。此の年の春に中支で編成された矛兵團(第六十師團)の師團通信隊の内地留守部隊でもあると云うことである。(此の事は後日、野戦に行く時になって知らされた。)十六部隊の兵隊は正規の軍帽に近衛の帽章をつけて居る。自分等は二階の通信講堂に机を隅に片付け、畳みござを敷いた部屋に案内された。同時召集者(同年兵)吾々補充兵は三十六名、再度点呼を取られる。先づ地方服から軍服との着替えをさせられる。当時の風呂屋の脱衣場を思わす風景である。
支給されたものはなかなか体に合わない。大きすぎたり小さすぎたり、体に合わないなどと云おうものなら、『そのうち体が軍服に合うようになる。』なんて、がなりたてられる。いくら軍隊だからと云ってもゴム紐でもあるまいし、体が都合よく伸びたり縮んだりはしまい。内心そんなことを思ったりした。脱いだ地方版を風呂敷に包み、細紐をかけて荷札を付ける。此れはそれぞれ家に送り返すのではなく、満期時まで軍隊で保管し預かるとの話であった。入隊したばかりで満期時なんて聞かされ、奇妙な感じがする。時折、営庭の方からラッパが鳴るが何の合図だかさっぱりわからない。
古年兵達が昼食の仕度をしてくれる。軍隊での始めての食事である。机に向かい合った同僚を見ると、星一つの階級章をつけ緊張したおかしな姿は、どうみても帝国軍人とは見えない。ひょっ子の雇い兵も良いところ。本日の入隊を祝ってか赤飯である。昨今、娑婆では餅米の赤飯など、なかなかお目にかかれるものでない。さすが軍隊である。量も多し、昼食とは云うものの昼間からの御馳走である。だが金物の食器とか代用食管の漬け物樽から取り出した赤飯、副食物、軍隊特有の臭いが鼻につく。皆緊張しているせいも手伝って、大半が食べ残している。此の食事時間を通じて午後の日程と、それに付随して二、三の注意事項を受ける。我々の面倒を見て呉れている二人の上等兵、一人は三年兵、一人は二年兵らしい。若い方は至極張り切って居る。時折下士官が顔を見せるが階級は軍曹殿である。割りと物解りの良さそうな班長で、後で紹介を受けるが教育係の助教と助手である。
身体検査
午後から上等兵殿に引率され、三聯隊本部の医務室で全員身体検査を受ける。入隊時のこの体格検査が合格しない限り、本物の兵隊ではない。調度、徴兵検査を思い起こさせる。皆裸になるとなるほど補充兵、体格の立派なのは一人もいない。胸がブリキの湯たんぼ形、いや、洗濯板とでも云おうか。そしてノッポか背の低いの、又は、眼鏡使用者で商品なら偽物で、二級品か三級品と云つたところだが、補充兵としてなら先づ々々の合格で、速日帰郷者なし、三十六名全員無事入隊である。平均年令は三十才前後、三十六才一名を除き三十四才から二十三才まで六割近くが妻帯者で、なかには結婚七日目で召集を受けたと云う聞くも涙、語るも涙と云う者も居た。此の男は後々迄も古年兵から酒のさかなで、冷やかされたものだ。
体格検査後、十六部隊の講堂で入隊式。部隊長の訓示と云うか祝詞の挨拶があり、教育係担当教官助教助手の紹介等がある。教官は栗原准尉、いかにも軍人らしい風格のある准尉殿。助教は、割りと温厚なインテリ風の軍曹殿。助手は上等兵二名、一人は三年兵、間もなく満期近しと云う感じ、他の一人は二年兵の張り切り上等兵。軍人としての心構えやら、軍隊生活に必要な注意事項などを聞かされる。
これからは地方言葉を使わずに軍隊用語を使う。例えば俺とか僕、私、などはいけない。自分とか姓を云う。そして上級者に対しては、「さん」呼びはいけない。「殿」を使う。上級者から問われた時の応答態度、次から次ぎと聞かされる。それを聞き洩さぬよう目を丸くして耳をそばたてる。
覚え止どめるのに懸命である。早速必要な官物品の被服の支給、それに名前の注記等、後から後追いまくられる、目まぐるしく忙しい。一つ一つの説明がどなられて居るような妙な感じがする。左の耳から右の耳に通り抜けいっこうに頭に残らない。言葉では本当に苦労した。始め一日め位は間違っても多少笑顔を見せたが、それも入隊当日位のもので(お客さんあつかい)。
被服の呼び名、上着(上衣)ズボン(軍衣)ズボン下(衣下)シャツ(襦袢)帽子(軍帽)略帽ゲートル(捲脚袢)レインコート(雨外套)オーバー(外套)遂い地方言葉が出てしまう。「上等兵殿、僕は未だレインコート貰っていません。」「何にィー」とたんゲンコツが飛んで来る。「今一度云って見ろ! 貴様何回云ったらわかるんだ! 地方言葉はいけない。わかったかァー」でかい声で耳の鼓膜がビリピリする程、どやされる。三日目あたりから口にしようものなら、無言でゲンコツが飛んで来る。
入隊当日の夕食は歓迎の意味での会食である。教官、助教、助手と同席で、机の上には御馳走が並ぶ。教育係及び同僚に対して各々自己紹介をさせられる。食後、食器洗いから清掃に至るまで、そして床の取り方、点呼の受け方、皆始めての経験である。明日からの予定、説明、細部注意事項、直属の上官の氏名、上等兵殿の話を耳をそば立て闇き洩しのないよう、皆目を皿の様にして聞き入る。
(此の内務教育は序の口で二、三日すると気合がかかる。全員良く殴られもした。)
点呼が済み消灯までの一時間は、今日のところ身辺整理と云うか召集時の礼状を葉書を書くもの、亦は用意してきた礼状の宛て先を書くもの、皆まとめあげ上等兵殿に差し出しを依頼する。点呼時に軍人勅愉は、一時も早く暗誦せよとの強い念押しがあった。手紙の整理の終わったものは、軍人勅愉の暗記に専念しているもの、たばこ好きの連中はまわりを憚りながら煙管(吸い殻入れ)を前に、うまそうに一服吸って居る。消灯準備、煙管等の後始末、夜間厠に行く要領等を上等兵から説明。消灯ラッパが鳴り床につく。
今日の一日の長くて亦、短くも感じた目のまわる一日であった。