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MEMORIES 記憶の断片

大東亜戦争に出兵した兵士の軍隊生活を綴った手記
文章と絵は記憶を辿ってまとめられました

招集令状


開戦から早くも十ケ月が過ぎ、ラジオから流れる勇ましい臨時ニュースも、とんと音沙汰なく、戦局も一段落か、このところ停滞状態である。それがかえって無気味さと、前途に容易ならぬものを感じさせらる。この三月には、京浜地区に敵機が来襲した。日本々土初空襲である。此の時の模様を間のあたりに見たが、本当のところ実感が湧かず日がたつにつれ戦場が身近かであるのを思い知った。
今は酷暑も過ぎ、一年中で一番凌ぎ易い良い季節である。街には依然と出征兵士の幟り旗が、一町内のどこかで秋風になびいて居る。

 九月二十九日夜、区役所の兵事係が召集令状を持って来る。会社で残業中、姉がそれを知らせにきてくれた。遅かれ早かれ来るとは思って居たが、どうせ来るなら早いほうが良いと、実のところ心まちに待ったその令状である。やっと、これで一人前になれた様な気がして胸が躍った。入隊は十月六日とのこと・・・・。『これより二年程前、徴兵検査で自分は第二乙種合格、陸軍第二補充兵である。此の年から第一乙(第一補充兵)は現役に編入されて、友人達の多くは現役で入隊した。それ以来一人取り残されたような気がしてならなかった。子供の頃、体が弱くて親に心配をかけたが、母親からもお前が兵隊に行くようになったら『いり豆に花だ』と口癖のように言われて大きくなったが、背丈は伸びたけれど裸になると、ブリキの湯たんぽ、洗濯板も良いところ。斯様な訳で徴兵時には、第二乙となった次第である。』帰宅して召集令状を自分で確かめる。
 麻布聯隊区指令、四角な印が押してある。陸軍第二補充兵郡友吉十月六日午前八時迄、東部十六部隊までに出頭せられたし。そして裏面に細部の注意書きが細かな印刷文字で記してある。入隊迄はちょうど一週間あった・・・・

入隊前日

二、三日して我が家の前にも、御近所や知人から贈られた出征を祝う幟り旗が何本か立った。勤め先の会社には、思い残しのないよう最後の職域奉公と十月の四日まで出社
する。夜は帰ってから身辺整理そして入隊の挨拶状や礼状は、入隊してからはとても書けないと、それらを書き上げたり、日にちは勿論、時間のたつのは速い。姉は家事の合間に千人針を、女性の道ゆく人や町内の御婦人方にお願いしてまとめ上げ、自分に贈って呉れた。
 奉公袋の中身の点検、洗面具、筆記具、手帳、軍人勅倫、葉書(書き上げた挨拶状)印鑑、風呂敷、細紐、貴重品(腕時計、がまぐち)等を忘れぬよう奉公袋に品目表を書いて共に入れる。風呂敷と細紐は、入隊時に着て行ったものを送り返すときに必要な為である。千人針や日章旗等は入らない包みを一つ作ることにした。最小限の肌着類、これらを出したりしまったり結構忙しい。

 十月も五日、昨日までとは違った心の忙しさが先にたつ。朝のうち明治神宮と鎮守様(永川神社)に参拝。それからお寺参りを済ませ、会社に別れの挨拶に出向く。
産業報國会の青年隊が整列して送って呉れた。午後からは床屋に行き丸坊主に刈り込んでもらう。床屋の主は自分に『應召ですか。?』『御苦労様です。髪の毛を少し採って置きましょう。』と少量を紙に包んでくれた。今夕は隣組の方や知り合いの人で送別会を、家でやってくれる事になっている。應召時には酒の特別配給がある。隣組の人達も多少持ち寄ったのか、特配より多い目にある。物質不足と言いながら割りと盛大にやって呉れた。日の丸の寄せ書きもまとまった。明朝入隊とあって早めにお開きとする。